展覧会「地上階には、つながらない邸宅」
THE RESIDENCE WITHOUT GROUND FLOOR
2016年2月25日(木)~3月1日(火)@池袋エリア
これまでの活動やリサーチの中から抽出されたタワーマンションの空間的要素を再構成し、都市の中に仮想の建築を設計することで、都市と住まいの関係を提示する。都心で体験する、回遊型の展覧会。
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参加アーティスト
北川 貴好[きたがわ・たかよし](美術作家)
1974年大阪府生まれ。1999年武蔵野美術大学建築学科卒業。
既存のプレハブ家屋に無数の「穴」を開けたり、公園に大量の古タイヤを持ち込むなど、環境や建物自体に手を加え空間そのものを新しい風景へと変換させていくインスタレーション作品を制作している。一方、2011年デジカメの写真を使った町遊び「30秒に一回みっける写真道場!!」を開始。1000枚を目標に写真を撮り、即編集、即発表という形式で、全国各地で道場を行う。
ドラえもんはどこでもドアを未来の道具として描いていますが、そもそもドアは、どこでも行ける第一歩としてあります。どこでもドアのその一歩先にある風景は、自分の住んでいる町を通さずに、別の場所に行けるところがどこでもドアのよいところでしょう。そう考えると、すでにもうどこでもドアは存在しています。
駅直結のタワーマンションは、町を通過せずにいろんな場所に行けます。駅近くにすむこと=利便性が高いこととされた結果、多くの人がその利便性を獲得するためにつくられた駅直結のタワーマンション。およそ500世帯住むこのマンション。500の扉の先には、そこにあるのは、町ではありません。ドアの向こうに繋がっているのは都市空間なのです。廊下、エスカレーター。その先には、地下通路、地下鉄、乗り換えのためのショッピングモール、そして高速鉄道、あるいは飛行場。移動するための空間、どこにでも行くための空間とつながっているのです。そう、扉のむこう、はすでにどこでも空間なのです。
仕事に追われた結果、女性の社会進出で共働きが増えた結果、老後の移動の利便性を考えた結果、都心に住む事が重要視された。その結果駅近くに住む。そして、発達した交通網は、色んな場所に行く時間を短くし距離感を短くしようとします。
生活感あふれる町並みは、人々の生きるための営みの集積です。低層の木造密集住宅は、そのなかで、いろんな要素が混じり合い、その営みの集積を歩くことで感じる事ができます。しかし、住むために特化した巨大な構築物は、住むもの以外を拒絶し、その生活の営みは外から見えずらいものになっています。
だが一方住んでいる人の視点、タワーマンションのウチから外れると、なにがみえるのでしょうか? 窓の風景は人々の生活の営みではなく、町が生きている事を感じます。車が流れて行く光景、マンションやビルの電気の点灯、移り変わる空の下、多くの建築の間を移動し、都市を成立させるための細胞のひとつとして、人々や車が動き回っている事を感じます。ただ、俯瞰的な窓からの光景、どこでも行ける扉からは、自分が住んでいる生活空間の全体像が見えてきません。都市と繋がっている一つの部屋あるいは細胞のようなものとしか認識できません。ぼんやりとした、住む人の家の像。いったい自分の住んでいる家のテリトリーはどこまでなのか? タワーの建築が、自分の家と言いきれるのでしょうか? 自分の家だけでなく、自分の町は一体どこなのか? あるいはどこまでなのだろうか? どこでもドアに自分の家の扉が近づけば近づくほど、振り返るべき自分の住まいが見えなくなっていっているのです。
タワーマンション。そのタワーマンションの像を追う事で、現代の都市に住まう家の像をたどれることができるのではないのだろうか?
ハイ=高いことと、ロー=低い事のギャップ。美術や芸術、文化の中にもそのハイとローのギャップが存在します。
タワーマンションおよび低層一帯を絡ませ合い、何重にも重なる線をドローイングする様に空間の実態をさぐっていく。そうして、いまある生活の像をさぐっていく。そのための実験。
それが、高層及び低層集合住宅一帯多層化芸術計画/high and low apartment multi-mix-art-plan)なのです。
7月3日(金)雨 新幹線にて
北川貴好
都心の住まい × 北川貴好
「高層及び低層集合住宅一帯多層化芸術計画」
北川貴好が、近年増えているタワーマンションに見られるような都心部での住まいをテーマに作品を制作。都心部におけるアートプロジェクトの可能性やアートステーションのかたちを探ります。
2015年4月〜2016年3月