としまアートステーションYシンポジウムレポート
地域に対して開くのか、そうでないのか
石幡:中崎さんは、ご近所に対してなにかアプローチしようとしていることはありますか。
中﨑:水戸のほうでは、不親切というかお客が来ても一銭にもなんないから別に来なくてもいいやと半分思ってて。としまアートステーション構想でやってることとは真逆なんですよね。だって遊戯室はこっちがお金払って運営してるわけだから。
遊戯室をはじめるときも「地域って言ってるのはもう面倒だよね」みたいなところからスタートしてる。「いいアートはわかるやつだけわかる、すごくいいものをしがらみなくやれる場所をつくりたいな」って最初にあった。けど、いいものをみんなにわかってほしいと思っているから専門家以外の人にも来てほしいし、ハードコアなことをやるけど入り口はコタツでアートがわかんない人も来てほしいし、なんかわかんないけど楽しいところだね、みたいな感じにはなりたいっていうのはある。
けれども、アートプロジェクトで僕はけっこういろんな場所に行って人が関わる作品づくりをしているんですけど、町内会にしても地元にしても、挨拶回りして飲み会に行ったりコミュニケーションとったりしながらそこで仲良くなってそこの人たちと一緒に何かをやっていく、みたいなことは丁寧にやろうと思えばできる。外でそういうことはするけど、地元に関してはそんなに怒られない程度に挨拶するぐらいでそんなに距離は近くはないし、意図的に地域へ積極的に関わる感じのことはしていない。
けれども、山田荘でもやったけどキワマリ荘でもガレッジセールを毎年やっています。市内の雑貨屋さんやデザイナーの人、飲食店の人が持ち寄ってやる3日間のイベントで、地域に開いてることもあったりする。けど、基本的には自分らにとって心地いいこと以上はそんなに背負わなくていいやって思ってる。
ギャラリーやって1000人来ても1円にもならないし、別にドリンク売ってるわけでもないから「お客様は神様です」ではなく、お客さんと僕らは対等だなと思ってる。普通に来てくれてありがとうございますって感じだけど、割とフラットな関係でいられる状態が一番心地いいかな。
僕はある意味で閉じてもいいと思っていて。例えば今回Yに関わって、地域にこういうのがあって、子どもから大人からお年寄りまでいろんな世代の人たちが交わって、アートや文化で素晴らしいまち、消滅なんか全然しません豊島区! みたいなのは、僕が言うのもなんですけどうさんくさいと思うんですよね。そんな全方位的にいいことってまずありえなくて、実はすごくマニアックなコミュニティの連続だと思うんです。
ほんとにハイなこと、数学でも研究でも物理でも自然科学でもいいけど、より高度なことになればなるほど数人しかわからない世界は絶対にある。隣のやつに数式見せられても何言ってるかわからない。けど、それはものすごい大きな何かをもたらすことかもしれない。僕は、ある専門的なやつらが閉じちゃうことっていいことだと思っていて、けれどもそのわからないことに対してわからないから排除しようではなく、わからない隣人に対してポジティブな気持ちで接することができるか、許せる関係性ができるかどうかがすごく大事だと思っています。
宮﨑:僕も地域貢献って言葉には違和感がある。だいたいそんな義理もないし、自分たちで経済活動をやっているわけだから、やりたくてやっているだけ。
ただ、そこで言えるのはその都市の奥行きをちゃんとつくっていこうとする行為なのではないでしょうか。都市にはいろんな人たちがいて、さまざまレイヤーがあるものが都市だと思ってる。池袋も吉祥寺も、実はすごく郊外的な風景なのかもしれない。そうすると、お金と床面積だけで単純に計られるものになっちゃう。だから、そこにあるいろんな価値が完全に抜け落ちてる。そこに対して、奥行きを持たせるためにすごく閉じたコミュニティだったりすごくエッジなことやったりすることは、実はすごく大事だと思うんです。
でも、本当に閉じすぎるとそれもそれでよくないから、「普通の生活のすぐそばにそれがある」っていうのがすごい価値だと思う。そういうものが、実は地域に対する価値になってくるんじゃないかな。
中﨑:ほんと誤解しないでもらいたいんですけど、僕は今、遊戯室の人間で呼ばれているからこんなこと言っているだけで、Yとしてはそんなことないですよ(笑)。ほんとにどんどん開いていきますよ。どっちもいけますから。
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